令和8年2月
『お念佛の十徳 その4 念佛者は常に富めり。』
お念佛を称える人は、十の功徳を頂戴し、この世を生き生かさせて頂いている喜びを感じる事ができます。
(十徳とはホームページ「説法獅子吼10月号」参照)
念佛者は常に富めり。
富むと言うと、お金持ちで裕福になる事を想像しなさいますが、如何でしょうか。
私達が生死の迷いの世界を離れられず、悩み苦しみの中に沈んでいるのは、貪欲(とんよく・むさぼり)、瞋恚(しんに・いかり)、愚痴(ぐち・おろかさ)の三毒煩悩の絆を断ち切れないからです。
人間と言う生きものは貪欲(とんよく・むさぼり)によって悩み、苦しんで情けない生き方しかできない迷いの凡夫です。
貪欲とは、もっと欲しい、もっと欲しい、人の持っているものでも欲しいという貪りの心です。欲望には物欲、金銭欲、性欲、食欲、睡眠欲などが有りますが、これは誰もが皆持ち合わせている物です。法然上人は「生まれつきの目鼻を取ることが出来ないのと同じように、煩悩妄念から逃れる事はできません。これが私達凡夫なのですよ」「しかしそんな煩悩妄念をも持って迷っている凡夫を阿弥陀佛は救ってやる」とお示し下さっているのです。
法然上人はお念佛を称えて、阿弥陀佛の『清浄光』と言う光明に照らされると「淫らな貪りや財産の貪りの不浄を除き、無戒や破戒の罪や咎を滅して、貪りの無い善い行いをする身となって、戒を持つ清浄な人と均しい」ようになると説かれております。
佛教は決して禁欲にあらず。たとえば食欲、睡眠欲などの欲が無いと生きていけないのです。今を生きるためには、欲も必要ですが、貪りの欲が身を亡ぼすのです。例えるなら、盆栽には水を欠かすことは出来ませんが、やりすぎると根腐りしてしまいます。
『清浄光(しょうじょうこう)』とは、阿弥陀佛が放つ12の光明(12光)の1つで、一切の煩悩、特に「貪欲(むさぼり)」を照らして清める、汚れの無い清らかな光です。この光に照らされることで、自らの欲深さに気づかされ、悩みを清められるのです。
お念佛を称える人は、この『清浄光に照らされて』不足不平不満を言わず、今を生き生かされている事の喜びを感じさせていただけるのです。足る事を知るゆえ満足の日暮しで、「喜足」つまり足るを喜ぶ事ができるのです。
すなわち、お念佛を称える人は、阿弥陀佛の功徳の全てを受け取る事ができるのです。この功徳を頂戴し、この世を生き生かさせて頂いている喜びを感じる事ができるのです。
佛の救いを信じて、ただ一向に念佛すべしです。
お念佛の中に、今を力強く生き生かさせていただきましょう。
令和8年2月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)






