【今月の説法獅子吼 (せっぽう ししく)】 毎月 更新


 令和8年5

お念佛の十徳 その7 念佛者に迷いなし。』

 お念佛を称える人は、十の功徳を頂戴し、この世を生き生かさせて頂いている喜びを感じる事ができます。
(十徳とはホームページ「説法獅子吼令和7年10月号」参照)

 

 法然上人のお詞に『生けらば念佛の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には おもいわずろう事ぞなき』(法然上人行状絵図21巻)とあります。
 お弟子の禅勝房に授けられた言葉で「常に仰せられける御詞」と申します。現代語訳しますと、「生きているならば念佛の功徳を積み、死んだならばお浄土に往くことが出来ます。それを確信したならば、生きようが死のうが、いずれであってもこの身には、あれこれと思い煩うことなど全くありません。」
 私達が生死の迷いの世界を離れられず、迷い悩み苦しみの中に沈んでいるのは、諸行無常の世界に生まれ、生命を頂いている以上、老・病・死の苦しみからは誰も逃れる事は出来ないからです。
 人生の最大関心事が老・病・死ではないでしょうか。恐ろしかったり、不安な感情を抱きます。特に死の恐怖は恐ろしいばかりです。いずれ逝かねばならぬ身とは判っていても、考えたくない、遠ざかりたい、出来るだけ先にと考えるのは、死んで逝くことが無価値、死んだら終いと考えているからです。
 そうじゃ無いんです。お釈迦さまの教え、浄土教の教えは、生きる事と死ぬことが同等の価値であると示しておられるのです。
桜の花は、咲かせた余力で散ります。散っていくのも桜です。咲くことと散る事は表裏一体のように、生と死は『生死一如』であり、生きると言う事は死ぬことであり、死ぬ事は生きる事なんです。
 私どもの考える幸と不幸は『裏表一体』であると言うことです。
 お念佛者には間違いなく阿弥陀佛が、最後臨終の時には迎えに来てくださって、生まれ難いお浄土に迎え取ってくださるのです。是を往生と申します。そして、お浄土で佛に相まみえて、更に佛にならせて頂くのです。
 死ぬんじゃ無い、生まれ往くんです。
『後の世も 此の世も共に 南無阿弥陀仏 佛任せの身こそ安けれ』
 お念佛に出会い、往生できる事の確信が、死後に対する安心感と共に、最後臨終のその日までの生きる時間にさえも意義を与えてくださるのです。 日々の生活に迷い悩んだときは、佛がこの道を行けと教え給う通りにすればいいのです。何も迷う事も、思い悩むことも無いのです。
今、生かされている生命を喜び、おかげさまの心で、安らぎと真実の喜びの中、日暮らしをすることができるのです。
 佛の救いを信じて、『ただ一向に念佛すべし』です。
 お念佛の中に、今を力強く生き生かさせていただきましょう。


 


 

令和8年5月1日 

二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)