令和8年4月
『お念佛の十徳 その6 念佛者に愚痴なし。』
お念佛を称える人は、十の功徳を頂戴し、この世を生き生かさせて頂いている喜びを感じる事ができます。
(十徳とはホームページ「説法獅子吼令和7年10月号」参照)
私達が生死の迷いの世界を離れられず、悩み苦しみの中に沈んでいるのは、貪欲(とんよく・むさぼり)、瞋恚(しんに・いかり)、愚痴(ぐち・おろかさ)の三毒煩悩の絆を断ち切れないからです。
今月は愚痴の煩悩についてのお話です。
三毒煩悩の『愚痴』とは、言っても仕方のないことをクドクドと嘆くこと。言っても益のないことを言うこと。泣き言をいうことでもありますが、その真相は、真理への盲目「無明(むみょう)」であり、目先のことに囚われ、物事の道理(因果の法則)を理解できない「愚かな心」のことを言います。欲(貪欲)や怒り(瞋恚)も、この愚痴(無知)が基盤となって生じるとされ、最も克服すべき煩悩ともいわれております。愚かで思い迷い、ものの道理の判らないことであります。
「我執(がしゅう)」と言う言い方もあります。自分さえよければいい。自分自身や自分の考えや、持ち物に強く執着し、自我を通そうとする心です。世界は自分中心に回っている、と言う思い上がりです。さらに言えば「我がまま」ですね。「我がままゆえにものの道理に暗い」ということです。 自分の意見に固執して、自分の意見が正しいと相手に強要させる。思い通りにしたいと、「こうあるべきだ」という理想に縛られて、相手の失敗を許せない。認められたい。つまり頑固、意地っ張り、強情そのものです。
法然上人は自らを『愚痴十悪の法然坊』と戒められておられます。
法然上人のご遺誓・一枚起請文に、『一文不知の愚鈍の身になして。尼入道の無智のともがらに同じゅうして。智者の振る舞いをせずして。』と繰り返し繰り返し述べられております。
要は、知ったかぶりをせず、偉そぶらず、学問の有る無しに拘わらず、自分の愚痴をしっかり自覚し、阿弥陀佛のご本願に依る以外に救われる道なしと決着することが大事です。
法然上人は、阿弥陀佛の『智慧光』に照らされると、「愚痴の咎が滅して、智者と勝劣がない」人のようになると申されております。
お念佛を称える人は、愚痴の心をおこすことなくおかげさまの心で、心に安らぎと真実の喜びをもたらし、平和に暮らすことができるのです。
すなわち、お念佛を称える人は、阿弥陀佛の功徳の全てを受け取る事ができるのです。
佛の救いを信じて、『ただ一向に念佛すべし』です。
お念佛の中に、今を力強く生き生かさせていただきましょう。
令和8年3月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)







