ご挨拶

 


大悲傳普化 眞成報佛恩

大原山西福寺第51世
二橋 信玄

 去る三月十八日、大原山西福寺第五十世鵜飼良昌上人の遷化にともない、はからずも小衲が住職という重責を拝する事と相成りました。光栄と共に、もとより愚身浅学不徳の身で如何程の御役に立ち得ますかと危惧致し身の震える思いであります。
 越の秀嶺大原山西福寺は六百五十余年の星霜を経ており、後光巌天皇(北朝)より寺領、後円融上皇より『勅願所』の院宣を賜る等の他、阿弥陀堂本尊は平重盛公の念持佛であることや、御影堂の法然上人御像は上人の御自作と言われ、弟子の勢観房が浄土念仏弘通の為、北陸地方勧化行脚の折、奉持された尊像と言われております。
 かつては、七堂伽藍を備え、五十三ケ寺の末寺と二十町歩に及ぶ田畑を有し、本山型式である御影堂つくりの浄土宗北陸きっての偉容を誇る名刹であります。

 西福寺は小衲が昭和四十四年小僧として先々代鵜飼隆玄御前の元に弟子入りさせて頂いた寺であり、育てて頂いた寺であり、先代鵜飼良昌上人は兄弟子に当たりますが、御師匠亡き後、師匠のようにお世話になった大恩人でありますれば、何としてもご恩返しをせねばなりません。歴世の御山主先徳が心魂をかたむけて築き上げてくだされた今日の大原山の歴史と伝統、その意を受け継ぎ、騎虎の勢にて泰山土壌を譲らずとの叱咤激励と頂戴し、この上は念仏弘通、祖師報恩、大原山護持興隆の為に、正精進以って大任を果すべく躬を竭して祖師先師の洪恩に酬ゆる所存でございます。

 コロナ禍の中、現代社会は大きく激変しております。寺離れ宗教離れが急速に進行する中で、寺院及び僧侶の存在意義が問われています。混迷の時代なればこそ、僧侶とは寺院とは何か、その課せられた使命と重要性を痛感する昨今であります。
 更に、御存じの通り、老朽化が著しい国指定重要文化財の御影堂、庫裏玄関等の修復工事が国・福井県・敦賀市の御協力御助力のもと、當山の長い歴史の上におきましても例のないとんでもない事業が待ったなしの現実です。
 皆様には、この宗門・寺門の危機的状況についての認識と念仏興隆、大原山発展の願いを共有して頂きたいと共に、今こそ一丸となって、お念仏の声を響かせる時と存じます。自信教人信の心を以って自策自励し、お念仏教化に邁進させていただく所存であります。
 何卒、ご協力お力添えを賜りますよう宜しくお願い申し上げます。合掌