法然上人の教えと西福寺
法然上人は平安の末、長承2年(1133年)4月7日、岡山県に誕生せられ9歳の時、父漆時国公が夜襲をうけ、不慮の死をとげられた最後の言葉、「仇打ちはするな、人間が助け合いながら救われる仏の道を求めよ」を一代の指標として叡山に登って出家せられ『知恵第一』と讃えられながら遂に43歳の時地位も学問も捨てて『浄土宗』を開かれ唯弥陀の本願によって『ナムアミダ仏』と口に称えるだけで、全ての人がお浄土に生まれる事が出来、後の世まで救われる仏の道を示されました。その教えの要は口に『ナムアミダ仏』と称えながら「おかげ様で」と生かされる生活を喜ぶと、自然に其処から人間の幸せも、社会の平和も仏のお護りの中に生まれてくると云うことです。
西福寺は上人のお弟子が、京都に遠いこの地に教えを広めるより処とされた因縁からこの地方の名刹となって今日に及び、5月の御忌会、お盆の大寄りには地方の信徒が群参して、念仏の声が山間にこだましています。






