法然上人 一刀十念御自作御尊像(西福寺御影堂御本尊)
【令和8年1月】
『お念佛の十徳 その3 念佛者は淋しさ無し。』
お念佛を称える人は、十の功徳を頂戴し、この世を生き生かさせて頂いている喜びを感じる事ができます。
(十徳とはホームページ「説法獅子吼令和7年10月号」参照)
念佛者は淋しさ無し。
念佛者には何時も佛が寄り添ってくださっており、何時も佛と二人づれ。
法然上人は、念佛者が阿弥陀佛を礼し、称え念ずれば、弥陀はこれを見聞き念じて、両者が親子の如くなると説かれております。これを親縁と申します。
唐の善導大師が、三縁(親縁・近縁・増上縁)の中の親縁を解釈されたところに、『衆生が佛を礼拝すれば、佛はこれをごらんになる。衆生が南無阿弥陀佛と佛の名前を称えれば、佛はこれをお聞きになる。衆生が佛を念ずれば、佛も衆生をお念じになる。それゆえ佛の三業(身・口・意)と行者の三業とが、それぞれ一致して、佛も衆生も親子のようになるので、親縁と名づける』とあります。
佛の名を呼ぶことは、親呼ぶ声「お母さん」と呼ぶのと同じです。阿弥陀佛は生命の親であり、南無阿弥陀佛は親呼ぶ声です。佛はその声に、必ず応えてくださるのです。『應聲即現』と言って、佛は称える声に応えて必ず現れて下さるのです。声に出す南無阿弥陀佛が佛さまなのです。佛の名を呼ぶことによって、自分の力の及ばない如何なる処、如何なる時でも佛の大慈悲を感じて生きることができるのです。
どんなに辛い悲しい事に出会ったとしても、南無阿弥陀佛と称えれば、必ず佛は寄り添ってくださいます。
すなわち、お念佛を称える人は、阿弥陀佛の功徳の全てを受け取る事ができるのです。この功徳を頂戴し、この世を生き生かさせて頂いている喜びを感じる事ができるのです。
佛の救いを信じて、ただ一向に念佛すべしです。
お念佛の中に、今を力強く生き生かさせていただきましょう。
2026年1月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)
■ バックナンバー
2021年(令和3年)10月より、毎月はじめに掲載しています。
【令和7年12月】
『 お念佛の十徳 その2 念佛者に悪人無し 』
「 大永(だいえい)の御忌(ぎょき)鳳(ほう)詔(しょう)下賜(かし)五百年)」
「罪は十悪五逆の者も、生ると信じて、 小罪をも、犯さじと思うべし 」






