●御影堂(みえいどう)
(国指定重要文化財 日本遺産~北前船寄港地・船主集落~)
御影堂は念佛道場であり、「本堂」「大殿」とも呼ばれ、境内中央奥に位置します。本山造り十四間四面の堂々たる入母屋造の御堂で、福井県下には類を見ません。法然上人一刀十念の御自作七十一歳等身大の御尊像と、その両側に開山良如上人・中興道残上人の御木造をお祀りしています。
寛政10年(1798年)35世順海上人が再建を創められ、13年をかけて文化8年(1811年)3月、36世光誉上人が法然上人600年遠忌催行に合わせて落成されました。
内陣、外陣ともに張られた檜一枚板の天井は、赤萩村(現在の福井県南越前町赤萩)の信徒より寄進されたと伝わります。
屋根大棟には紋瓦が現在3つあり、中央に天皇勅願寺を表す菊花紋、東に十五弁の葵紋、西には徳川家康公の子、結城秀康公・結城家の左巴紋が並びます。また、破風板・懸魚等には豪奢な彫り物、向拝の手狭にはリスやブドウの彫り物も見られ、法然上人の祀られる御堂の格式はより重厚なものとなり、信仰の篤さの表れと言えましょう。
●阿弥陀堂(国指定重要文化財)
文禄2年(1593年)中興道残上人が一乗谷から移築したもので、建築の様式も古く、国の重要文化財に指定されています。前進の建物は室町時代の建立と伝わります。
お堂の二重屋根の間には、東山天皇の勅命による武内二品良尚親王筆の「西福寺」の額を掲げています。
ご本尊は平重盛公の御持佛であって、天台宗第四祖慈覚大師(円仁)御作の阿弥陀如来・観音菩薩・観音菩薩・勢至菩薩の三尊佛です。
戦国時代の荒廃の後、西福寺の復興が始まりますが、その最も早い時期に建立されたのが阿弥陀堂だと考えられます。本屋上半分は室町時代に遡る禅宗様式の単層三間堂で、西福寺と朝倉氏の深い縁により一乗谷から西福寺に譲り受けました。
西福寺に移した際に、現在の内陣菱欄間鴨居の位置で全ての柱を継ぎ足し、四周に裳階を附して三間裳階付仏堂になった為、「西福寺阿弥陀堂」としての実質的な建立年はこの年としています。そこから一世紀半を経た延享4年(1747年)に大規模修理を行い、さらに半世紀後の文化年間(1804~1817年)に「御影堂」建立に伴い現在地へ曳家されました。
●四修廊下(ししゅうろうか) (国指定重要文化財)
御影堂から阿弥陀堂へ渡る回廊で、念仏行者が極楽浄土へ往生する姿を再現している、非常に珍しい構造です。
阿弥陀如来の来迎いただき、雲上を通って浄土に辿り、浄土庭園の池上を歩み行きます。浄土経典を忠実に再現した構造は、日本全国でもここ西福寺以外に例を見ない貴重な構造物です。
名勝庭園の一部に含まれる建物。回廊、渡廊下とも呼ばれます。御影堂と一連に建立されました。当初は柿葺。3段からなる庭園の滝と、4曲に折れた廊下を、浄土宗の教え「三心四修」になぞらえて大切にされています。第44世卍翁は大原山十二勝として「三心瀧」と「四修廊」を挙げ、簡素ながら西福寺伽藍の一つの顔となっています。
●書院 (国指定重要文化財)
慶長年間(1596~1615年)福井城主秀康公の寄進で、天井は同2代忠直公の施工、元禄2年(1689年に)建て替えられ、特に鎮火点にありと伝えられ方丈の間とも呼ばれます。
仏間、一の間、二の間、三の間があり、昭和58年(1983年)5月皇太子浩宮殿下の御来駕の際に御進講が行われたことから、一の間は「御進講の間」とも呼ばれます。襖には前衛書家千葉半厓氏の「功徳荘厳」「散華」が書かれ、仏間には浄土三部経が紺地に金字で書かれています。
県内に類例のない二列二室の間取りを持ち、全体に数寄屋風の要素を取り入れながらも天井を高くし、格式を重視した意匠を持ち、また、書院は名称に指定された庭園の一部に含まれています。
●舎利如来堂
納骨の寺として開基以来深く信仰されてきた西福寺に、年々納められるお骨をまとめて『骨佛』(舎利如来像)をお造りし、日々回向しています。先だった大事な方が佛の姿となって拝ませていただき、現世に見佛様とご先祖様のご加護がいただけると全国各地から参詣が絶えません。
当山49世證誉上人が発願(ほつがん)、昭和46年(1971年)、第一躰目の舎利如来像を奉造、爾来10年ごとに一躰の舎利如来像が造立され、現在は六躰をお祀りしています。
●大玄関
寛保4年(1744年)に建立され、文政4年(1821年)の再建されました。
弘通殿(ぐつうでん・ぐづうでん)の額は知恩院71代万誉大僧正が円光大師650年忌に際し、青蓮院門跡の書を寄贈され、弘通の間ともいいます。
●庫裏 (国指定重要文化財)
建立は江戸中期の明和年間(1764~1771年)とも元禄年間(1688~1703年)に遡るともいわれ、第27世了長上人が三門再建と同時に建て替え、第30世全超上人が台所の建て替え、第31世圓頊上人が庫裏と玄関の修造をしたと伝わります。令和の大修理で明らかにされることが待たれます。
●総門 (敦賀市指定有形文化財)
大門ともいいます。寛永年間(1661~1673年)、立石の信徒より寄進され、1本の木で建てたと寺誌に記されています。江戸時代の『西福寺古図』にも描かれています。
●華頂門 (敦賀市指定有形文化財)
総本山知恩院華頂宮門跡の表門が、華頂学園校舎新築の為に撤去されたものを昭和44年(1969年)当山に移築された。
●三門
元禄2年(1689年)第27代了長上人により重層式楼門を再建されましたが、昭和21年(1946年)5月に焼失。昭和44年(1969年)第49代證誉上人の発願により昭和52年(1977年)8月鉄筋コンクリート造りにて竣工、楼上に馬堀喜孝法眼筆、釈迦・十六羅漢、並に法然上人二十五霊場画を安置しています。
●涅槃門
江戸時代の『西福寺古図』では庫裏門と描かれ、現在の華頂門の位置にありました。華頂門の移築に伴い、念佛堂の入口へと移されて涅槃門と呼ばれるようになりました。
●鐘楼堂 (敦賀市指定有形文化財)
大寺らしい風格のある鐘楼堂は安永年間(1772~1780年)の建立です。梵鐘は第二次世界大戦で徴用されましたが、昭和45年(1970年)当山開創600年を記念して当山49世證誉上人により再鋳されました。450貫の大梵鐘です。
●念佛堂 (敦賀市指定有形文化財)
一名納骨堂といい、開山良如上人の御廟所で各宗檀信徒の納骨所となっている。
開山上人墓石上に阿弥陀如来像を安置する。
お厨子両側の宅磨方眼筆による25菩薩来迎図は有名である。
●三界萬霊搭(さんがいばんれいとう)
全ての生命のご供養のための石塔で、西福寺では毎年8月9日大寄の日に、搭の前には水向け塔婆を流し、水向け大施餓鬼が勤められ、早朝から夕刻まで市内外から多くの参詣がなされます。
●宝篋印塔(ほうきょういんとう)
「宝筐印陀羅尼」と呼ばれる経文を納めた供養搭・墓搭です。お経を奉納することは大功徳と考えられていますが、一切経を収蔵する堂宇を建てることは難しいことです。
この宝塔は文化年間(1804~1817年)、阿曽金井源兵衛氏の一建立で壮大な石塔です。
●弁財天堂
宝物殿の隣に祀り、竹生島に模して造られたもので、雨ごい、お産等に霊験があり、参詣者多し。
●瑞芳軒
明治44年(1911年)、43世善誉上人が圓光大師700年御忌記念に建設された檀信徒の集会所です。令和の大修理に伴い、寺務棟・研修道場として生まれ変わります。







