法然上人 一刀十念御自作座像(西福寺御影堂御本尊)
【令和7年8月】
『聞・信・修』
法然上人が常々申されておられたお言葉に「お念仏の功徳を聞いたといえども、それを信じなければ、聞かなかったのと同じ。たとえ信じたとしても、お念仏を称えなければ信じていないのと同じである。ただ常にお念仏を称えなさい」と申されています。
このことを「聞・信・修(行)」と言い、法を聞き、佛の縁を大事にして、佛の救いを信じ、お念仏の功徳を信じることが大事で、御佛に心身をゆだねることです。
今日、多くの人は知識の段階で足踏みを続け、それにより先に進めないで迷っているだけです。単なる知識としての理解ではなく、佛の救いは理屈じゃない事を心から信ずることが大事です。そして、何よりもお念佛を声に出して称える事が一番大事なんです。修とはお念佛を称える事で、行とも申し上げるのです。法然上人は「行が伴なわなければ信じているということにはならない」と申されています。
「私は佛の救いを信じております」と申される方でも、お念佛を実際に申さない人は、信じているとは言えません。
反対に、お念佛を申さない人には信仰心も宿りません。
お念佛を称えれば称えるほど、信心は深まってくるものです。そうなれば、自ら法話の会や念佛会等の佛の縁に進んで出会おうとするようになります。
法然上人は、一枚起請文に「ただ一向に念佛すべし」と申されております。他のお書物には、「おおらかに念佛すべし」とも申されております。肩肘張らずに、素直に「大らかに」「多らかに」お念佛を申すが第一です。
お念佛を申さずにはおられないと言う境地なれば一番素晴らしいと思います。
お念佛を喜ぶと言う表現が一番合うと思います
2025年8月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)
※【今月の言葉】の表題を【今月の説法獅子吼(せっぽう ししく)】に変更しました。
2021年(令和3年)10月より、毎月1日に掲載しています。






